リナルド ヴェネチアオペラ

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PreviousFEB 2038

リナルド Rinaldo

 

作曲:ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル

台本:ジャコモ・ロッシ&アーロン・ヒル

 

あらすじ

 

時と所:11世紀末・エルサレム

 

第1幕

十字軍の兵士リナルドには、アルミレーナという恋人がいた。2人は結婚を望んでいたが、アルミレーナの父ゴッフレードから「結婚は戦争に勝利してから」という条件が出されていた。ゴッフレードは軍の総指揮官であった。ある時敵軍エルサレム王アルガンテが、十字軍に3日間の休戦を申し入れてきた。その間アルガンテは劣勢の戦を何とか逆転しようと、恋人で魔法使いのアルミーダを使い、リナルドの恋人アルミレーナをさらってきた。恋人をさらわれたリナルドは、ゴッフレードとその弟エウスターツィオと共に、洞窟に住むという魔法使いに助けを求めに行くことにした。

 

第2幕

洞窟の魔法使いの所へ行く途中、3人は海辺にさしかかる。するとリナルドだけが敵軍の魔法使いアルミーダの罠にはまり、美しい女性に誘われるまま舟に乗り込み、さらわれてしまう。その頃囚われの身となったリナルドの恋人アルミレーナは、その美貌からエルサレム王アルガンテにすっかり気に入られ、愛人にならないかと迫られていた。悲しみに沈むアルミレーナは「私を泣かせて下さい Lascia ch'io pianga」を歌い、どうか1人にしてくださいとアルガンテを拒み続けた。一方魔女アルミーダは、十字軍の要であるリナルドを捕えることに成功したのだが、こちらもまたリナルドの凛々しさに心を奪われてしまう。アルミーダは魔術を使い、アルミレーナに変身してリナルドに迫る。ところがある日、アルミレーナに変身しているアルミーダを、王アルガンテが本物と思い込み口説いてしまった。心変わりを開き直るアルガンテにアルミーダは怒り、2人の仲は険悪となった。

 

第3幕

アルミレーナの父ゴッフレードと、その弟エウスターツィオが、魔法使いの住む洞窟に辿り着いた。魔法使いは全てをお見通しで、アルミレーナの囚われている場所を2人に教えた。数々の困難に一度は逃げ帰った2人だったが、魔法使いから不思議な力を持つ杖を与えられると、再びアルミレーナとリナルドの救出に向かった。今度はその杖のお陰で敵地まで乗り込むことができ、魔女アルミーダもリナルドの手により撃退された。こうしてようやくリナルドとアルミレーナは、再会することができた。有能な兵士リナルドを取り戻した十字軍は、戦争に勝利し、リナルドとアルミレーナは、晴れて結婚することができた。捕えられたアルガンテとアルミーダも、キリスト教徒に改宗し、皆の喜びの中、幕となる。

プログラムとキャスト

指揮者:フェデリコ・マリア・サルデーリ フェデリコ・マリア・サルデーリ
監督、セット&コスチューム ピエール・ルイジ・ピッツィ

 
リナルド:テレサ・イエルボリーノ
ゴフレード レオナルド・コルテラッツィ
アルミレナ フランチェスカ・アスプロモンテ
アルミダ ルース・イニエスタ
シルバー アンドレア・パチュチェリ
魔法使い ウィリアム・コロ


フェニックス・オーケストラ&クワイア
コーラスマスター クラウディオ・マリーノ・モレッティ

 

フェニーチェ劇場

 

フェニーチェ劇場(Teatro La Fenice)は、イタリア・ヴェネツィアにある歌劇場である。日本語でもしばしばラ・フェニーチェ(-座、あるいは-劇場)と表記される。開場は1792年5月16日。

イタリア語でfeniceは不死鳥を意味し(英語のphoenixに相当)、その名は1773年に火災で焼失したヴェネツィアの他の歌劇場の後継を自負して名付けられた。その後この劇場自体、1836年と1996年の2度にわたって火災により全焼したが、その都度再建がなされ、「不死鳥」の名にふさわしい歴史を誇る。

 

ヴェネツィアとオペラの関係は古い。1630年、モンテヴェルディの『略奪されたプロセルピーナ』Proserpina Rapitaがヴェネツィア総督モチェニーゴ・ダンドロの邸宅で行われた、とあるのがヴェネツィアの記録上最古のオペラ演奏である(同邸宅はその大部分が現存、ホテル・ダニエリとして利用されている)。17世紀には少なくとも16の歌劇場が競合するなど隆盛を極めていた。

 

サン・モイゼ劇場は1640年に開場、1818年まではオペラの定期公演が行われ、ヴィヴァルディやパイジエロなど18世紀のオペラ作曲家の新作が多くここで初演された。後にはオペラ・ブッファに特化した運営となった。ロッシーニのオペラ『婚約手形』La Cambiale di Matrimonio(1810年)や『ブルスキーノ氏』Il Signor Bruschino, ossia Il Figlio per azzardo(1813年)なども、当劇場の委嘱になる作品である。

サン・サルヴァトーレ劇場(後年1875年にゴルドーニ劇場と改称され現存)は1661年開場、ゴルドーニの戯曲の多くが演じられたことで有名だが、ここもまた18世紀から19世紀前半には有力なオペラ劇場であった。ジュディッタ・パスタがベッリーニ作曲『ノルマ』を演じた記録が残り、またヴェネツィアの劇場中最も早くガス灯による照明が行われた(1826年)。

 

サン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場はマルコ・ポーロの邸宅があったとされる一角に1687年に開場、フェニーチェ劇場の創建以前はヴェネツィアで最重要の歌劇場と考えられていた。この劇場はグリマーニ家という富豪の運営になる劇場のうちの一つであり、少なくともここヴェネツィアにあっては、入場料さえ払えば、身分に関係なく誰でもオペラを鑑賞できる最初の劇場となった。ヘンデル作曲『アグリッピナ』(1709年)は当劇場で初演された。1836年に当時の高名なソプラノ歌手、マリブランが28歳の若さで急逝したとき、前年に当劇場でベッリーニ作曲『夢遊病の女』La Sonnambulaを歌い大成功を収めたことを追憶するためマリブラン劇場と改称された。20世紀に入ってからは映画館に改装されたが、その後もしばしば小規模オペラの公演に利用され、また、後述の1997年からのフェニーチェ劇場焼失再建期間中は仮劇場の一つとして活用された。

 

グリマーニ家の歌劇場のうち、その内装の優美さによって18世紀後半にもっとも隆盛を誇ったのが1755年に創建のサン・ベネデット劇場だった。この劇場は席数1500の大規模なものであったが、1773年の火災で焼失する。劇場再建にあたって土地の所有者ヴェニエル家と劇場の運営者側との間に法的係争が発生、ヴェニエル家に有利の裁定が下った。その結果劇場運営者側は同地を去り、そこから徒歩10分足らずの近接地カンポ・サン・ファンティンに新劇場を建設することとなった。新劇場は火災(とそれに続く裁判)の困難に打ち克つという意味を込めて不死鳥=フェニーチェ劇場の名が付けられた(下記に詳述)。

 

なお、サン・ベネデット劇場は結局1787年にヴェニエル家によって単独再建がなされた(この際ヴェニエル劇場と改称された)。フェニーチェ劇場開場後の1813年に至っても有名なロッシーニ作曲『アルジェのイタリア女』Italiana in Algeriの初演がこのサン・ベネデット劇場で行われていることからみて、少なくとも一定期間はフェニーチェ劇場に伍する歌劇場としての地位を得ていたとみられる。なお、同劇場は1868年にロッシーニ劇場と再改称され、1925年からは映画館として使用されている。

 

輸送

 

水上バス
2行目:トロンケットから
リアルト橋、サンマルコとリドの方へ

ローマ広場やサンタ·ルチア駅から:ライン1またはライン2
リアルト橋、サンマルコとリドの方へ

停止します。リアルト橋、聖天使、聖サミュエルやサン·マルコ(ヴァッラレッソ)、ライン1を取る。
またはリアルト橋やサン·マルコ(ヴァッラレッソ)、ライン2を取る


マルコ·ポーロ空港からアリラグーナ公共交通サービス - リアルト橋やサン·マルコ(ヴァッラレッソ)にブルーラインにオレンジ色の線を取る

 

入り口

フェニーチェ劇場は、2つの入口があります。
- ステージドアは劇場スタッフと出演者のためであり、ドアマンによって有人されます。
- メインの入り口


エレベーター

ボックス、ギャラリーや家族の輪は、エレベーターを経由して到達することができます。

アクセス

劇場は特別なニーズのアクセシビリティに関してすべての法的規制に準拠しています。

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