ファウスト ヴェネチアオペラ

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APR 2022

ファウスト

 

作曲:シャルル・グノー

台本:ジュール・バルビレ&ミシェル・カレ

 

 

あらすじ

 

時と場所:16世紀のドイツ

 

第1幕

管弦楽による短い前奏がファウストの苦悩を表す。半音階的テクスチュアが博士の博識を、また牧歌的な地方色に彩られた音楽が自然の純朴な喜びを表現している。老学者ファウストが自分の書斎で、人生をかけた自分の学問が無駄であったと嘆いている。空しい人生に終わりを告げるため、服毒自殺を図るが、外から楽しそうな少女たちの牧歌的な合唱が聞こえてくるので、2度思いとどまる。ファウストが人生の快楽を呪っていると、そこに悪魔メフィストフェレスが現れ、二重唱「私はここにおります」(Me voici!)となり、ファウストの望みは欲しいものは、金か名誉かと聞く。ファウストはカバレッタ「私に快楽を」(A moi les plaisirs!)を歌って青春を望む。その代償としてメフィストフェレスはファウストに死後の魂を渡すように言う。ファウストがためらっていると、メフィストフェレスは美しい娘マルグリートの幻影を見せる。ここでの旋律は後の庭の場面で歌われる二重唱を先取りしている。幻影に魅せられたファウストは死後の魂を渡すという契約書にサインする。若返りの薬を飲んで一瞬で若者になる。2人は二重唱で「私に快楽を」を初回より半音高く繰り返して幕となる。

 

第2幕

市と祭りで賑わう街の広場で、マルグリートと学生たち、兵士たち、若い娘たち、既婚女性たちがにぎやかに合唱している。最初は個別に歌われるが、やがてマイアベーア風に対位法でまとめられ、華やかに締めくくられる。今日は、マルグリートの兄ヴァランタンが出征する日、彼はマルグリートにもらった小さなメダルを手に持っている。ヴァランタンは妹を一人残して出征する悩みアリア「出征を前に」(Avant de quitter ces lieux)を歌い、ジーベルとワーグナーらにマルグリートを頼む。ワーグナーが「ねずみの歌」(Un rat plus poltron que brave)を歌ったところで、メフィストフェレスが入ってきて、この世はすべて金が第一だと「金の子牛の歌」(Le veau d'or est toujours debout!)を歌う。その後、メフィストフェレスはワーグナーやジーベルの手相を見ながら不吉な事を言うので、悪魔であることがばれてしまい退散する。一方でファウストはマルグリートに恋心を抱いて愛を告白するが、マルグリートに慎み深く断られる。悲劇のヒロインの登場はのどかなディヴェルティメントを背景とした短く控え目なものだが、それだけに一層強い印象を残す。

 

第3幕

村の若者ジーベルは恋するマルグリートのところに現れ「花の歌」(Faites-lui mes aveux)歌ってマルグリートに花を贈ろうとするが、メフィストフェレスの計略により、花はすぐに枯れてしまう。それでも何とか花輪を作り、それをマルグリートの家の玄関に置き、立ち去る。そこにファウストとメフィストフェレスが登場する。ファウストは彼女の幸福な暮らしぶりを見て感動しアリア「この清らかな住まい」(Salut! demeure chaste et pure)を歌う。メフィストフェレスが用意した宝石入りの小箱を玄関に置いて2人は立ち去る。 マルグリートは祭の日に声をかけられたファウストのことを忘れられず、糸を紡ぎながらがバラード「トゥーレの王」(Il était un roi de Thulé)を歌いながら現れる。メフィストフェレスは扉の外にそっと宝石箱を置く。マルグリートは玄関に置かれた宝石を見つけ驚き、身に着けながらアリア「宝石の歌」(Air des bijoux)を憧れと伴に歌う。マルグリートの友人のマルトが現れ、宝石について話しているときにファウストとメフィストフェレスが登場して四重唱「少しの間でも私の腕を取って」(Prenez mon bras un moment)となる。ファウストはマルグリートを、メフィストフェレスはマルトをそれぞれ口説く。マルグリートは頑なに愛の告白を拒むが、最終的にファウストの愛を受け入れる。

 

第4幕

ファウストはマルグリートの元から去り、マルグリートは糸をつむぎながら来ぬ人を待っている。彼女はファウストにもてあそばれ彼の子供を身ごもっていたが、それでもなおファウストを忘れられず、彼は戻ってこない(Il ne revient pas)と「紡ぎ車の歌」を歌う。マルグリートが教会で祈るっていると、ジーベルがやってきてファウストへの復讐をはかる。しかし、マルグリートはこれを拒む。悪魔たちの合唱がマルグリートを包む。広場では兵士たちが「我らの父祖の不滅の栄誉」(Gloire immortelle)を合唱する。ヴァランタンが軍から帰ってきて、妹のマルグリートが騙され未婚の母になったことを聞き、妹の変わり果てた姿を見て怒る。ファウストとメフィストフェレスが登場。マルグリートの家の前でファウストは後悔に苦悩するが、メフィストフェレスはセレナード「眠った振りをせずに」(Vous qui faites l'endormie)を歌い、不気味に笑う。ヴァランタンはファウストに決闘を挑む。しかし悪魔の力を借りたファウストに負け、死にかけたヴァランタンは、マルグリートに「呪われろ!」と激しい言葉を残し事切れる。

 

第5幕

ハルツの山中。ワルプルギスの夜。「鬼火の合唱」にのって、ファウストはメフィストフェレスに連れてこられ、ワルプルギスの酒池肉林の騒ぎの中にいる。次々に美女が現れ、踊る。ここでバレエの場面となる(省略されることもある)。しかし、ファウストはマルグリートを忘れられず、マルグリートの幻影を見る。ファウストがマルグリートのところへ戻ると、マルグリートは生まれた子供を殺した罪で牢獄の中にいた。再会したマルグリートとファウストは喜び、愛の二重唱「そう、それは私だ!愛している!」(Oui, c'est moi, je t'aime!)を歌う。しかし、マルグリートは気が狂っていた。ファウストとメフィストフェレスは牢から逃れさせようするが、マルグリートはついて行こうとしない。そこへメフィストフェレスが現れ、フィナーレの三重唱を展開となる。そのとき牢獄の壁が開いてマルグリートの魂が昇天してゆく。メフィストフェレスは大天使ミカエルの剣によって倒される。マルグリートが神に祈ると、天使たちの合唱「救われた!キリストはよみがえられた!」(Sauvée! Christ est ressuscité!)が聞こえ、マルグリートは神の元に救済されていく。

プログラムとキャスト

指揮者 フレデリック・シャスリン
監督、セット、衣装 ジョアン・アントン・レキ
ディレクターアシスタント:タマラ・ハインブロック
照明デザイナー ファビオ・バレッティン

 
ファウスト博士 イヴァン・アヨン・リヴァス
メフィストフェレス アレックス・エスポジート
マルグリット カルメラ・レミジオ
ヴァレンティン アルマンド・ノグエラ(Armando Noguera
ワーグナー ウィリアム・コロー
シエベル パオラ・ガルディナ
マルテ・シュヴェルトライン ジュリー・メラー

 
フェニーチェ管弦楽団・合唱団
コーラス・マスター クラウディオ・マリーノ・モレッティ

フェニーチェ劇場

 

フェニーチェ劇場(Teatro La Fenice)は、イタリア・ヴェネツィアにある歌劇場である。日本語でもしばしばラ・フェニーチェ(-座、あるいは-劇場)と表記される。開場は1792年5月16日。

イタリア語でfeniceは不死鳥を意味し(英語のphoenixに相当)、その名は1773年に火災で焼失したヴェネツィアの他の歌劇場の後継を自負して名付けられた。その後この劇場自体、1836年と1996年の2度にわたって火災により全焼したが、その都度再建がなされ、「不死鳥」の名にふさわしい歴史を誇る。

 

ヴェネツィアとオペラの関係は古い。1630年、モンテヴェルディの『略奪されたプロセルピーナ』Proserpina Rapitaがヴェネツィア総督モチェニーゴ・ダンドロの邸宅で行われた、とあるのがヴェネツィアの記録上最古のオペラ演奏である(同邸宅はその大部分が現存、ホテル・ダニエリとして利用されている)。17世紀には少なくとも16の歌劇場が競合するなど隆盛を極めていた。

 

サン・モイゼ劇場は1640年に開場、1818年まではオペラの定期公演が行われ、ヴィヴァルディやパイジエロなど18世紀のオペラ作曲家の新作が多くここで初演された。後にはオペラ・ブッファに特化した運営となった。ロッシーニのオペラ『婚約手形』La Cambiale di Matrimonio(1810年)や『ブルスキーノ氏』Il Signor Bruschino, ossia Il Figlio per azzardo(1813年)なども、当劇場の委嘱になる作品である。

サン・サルヴァトーレ劇場(後年1875年にゴルドーニ劇場と改称され現存)は1661年開場、ゴルドーニの戯曲の多くが演じられたことで有名だが、ここもまた18世紀から19世紀前半には有力なオペラ劇場であった。ジュディッタ・パスタがベッリーニ作曲『ノルマ』を演じた記録が残り、またヴェネツィアの劇場中最も早くガス灯による照明が行われた(1826年)。

 

サン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場はマルコ・ポーロの邸宅があったとされる一角に1687年に開場、フェニーチェ劇場の創建以前はヴェネツィアで最重要の歌劇場と考えられていた。この劇場はグリマーニ家という富豪の運営になる劇場のうちの一つであり、少なくともここヴェネツィアにあっては、入場料さえ払えば、身分に関係なく誰でもオペラを鑑賞できる最初の劇場となった。ヘンデル作曲『アグリッピナ』(1709年)は当劇場で初演された。1836年に当時の高名なソプラノ歌手、マリブランが28歳の若さで急逝したとき、前年に当劇場でベッリーニ作曲『夢遊病の女』La Sonnambulaを歌い大成功を収めたことを追憶するためマリブラン劇場と改称された。20世紀に入ってからは映画館に改装されたが、その後もしばしば小規模オペラの公演に利用され、また、後述の1997年からのフェニーチェ劇場焼失再建期間中は仮劇場の一つとして活用された。

 

グリマーニ家の歌劇場のうち、その内装の優美さによって18世紀後半にもっとも隆盛を誇ったのが1755年に創建のサン・ベネデット劇場だった。この劇場は席数1500の大規模なものであったが、1773年の火災で焼失する。劇場再建にあたって土地の所有者ヴェニエル家と劇場の運営者側との間に法的係争が発生、ヴェニエル家に有利の裁定が下った。その結果劇場運営者側は同地を去り、そこから徒歩10分足らずの近接地カンポ・サン・ファンティンに新劇場を建設することとなった。新劇場は火災(とそれに続く裁判)の困難に打ち克つという意味を込めて不死鳥=フェニーチェ劇場の名が付けられた(下記に詳述)。

 

なお、サン・ベネデット劇場は結局1787年にヴェニエル家によって単独再建がなされた(この際ヴェニエル劇場と改称された)。フェニーチェ劇場開場後の1813年に至っても有名なロッシーニ作曲『アルジェのイタリア女』Italiana in Algeriの初演がこのサン・ベネデット劇場で行われていることからみて、少なくとも一定期間はフェニーチェ劇場に伍する歌劇場としての地位を得ていたとみられる。なお、同劇場は1868年にロッシーニ劇場と再改称され、1925年からは映画館として使用されている。

 

輸送

 

水上バス
2行目:トロンケットから
リアルト橋、サンマルコとリドの方へ

ローマ広場やサンタ·ルチア駅から:ライン1またはライン2
リアルト橋、サンマルコとリドの方へ

停止します。リアルト橋、聖天使、聖サミュエルやサン·マルコ(ヴァッラレッソ)、ライン1を取る。
またはリアルト橋やサン·マルコ(ヴァッラレッソ)、ライン2を取る


マルコ·ポーロ空港からアリラグーナ公共交通サービス - リアルト橋やサン·マルコ(ヴァッラレッソ)にブルーラインにオレンジ色の線を取る

 

入り口

フェニーチェ劇場は、2つの入口があります。
- ステージドアは劇場スタッフと出演者のためであり、ドアマンによって有人されます。
- メインの入り口


エレベーター

ボックス、ギャラリーや家族の輪は、エレベーターを経由して到達することができます。

アクセス

劇場は特別なニーズのアクセシビリティに関してすべての法的規制に準拠しています。

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