フィデリオ

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NOV 2021

あらすじ


舞台は16世紀末、スペインのセビリャから数キロメートルほどのところの刑務所。


第1幕

ヤキーノとマルツェリーネの2人が舞台にいる。ヤキーノはマルツェリーネに「もし結婚してくれるなら」と頼む。しかし彼女は「絶対結婚しない、フィデリオに夢中だから」と返事する。フィデリオはレオノーレの扮装した姿である。ヤキーノは退出し、マルツェリーネはフィデリオの妻になりたいと歌う。ロッコとヤキーノが、フィデリオを探しながら登場する。フィデリオは、修理したばかりの鎖の重い荷物を運びながら入ってくる。ロッコはレオノーレの技術を褒めるが、彼の控えめな返答は、自分の娘の気を惹くためではないかと誤解する。マルツェリーネ、レオノーレ、ロッコおよびヤキーノは四重唱で、マルツェリーネのフィデリオへの愛について歌う。ロッコはレオノーレに、知事がセビリャに出発したらすぐマルツェリーネと結婚して良い、と言う。彼はさらに、金が無ければ幸せになれないと言う。レオノーレは金と同様に重要なものが欲しいと言う。そして、ロッコがある牢屋に立ち入る時は、絶対自分の手伝いを許さず、戻ってくる時は息も絶え絶えなのは何故か、知りたい、と尋ねる。ロッコは、特別の牢屋にいる囚人には会わせられない、その囚人は権力をもつ敵のせいで牢屋で2年間を無駄に過ごしているのだと言う。マルツェリーネは自分の父親に、レオノーレがそのような恐ろしい有様を見ないですむようにして欲しいと言う。対して、ロッコとレオノーレは勇気について歌う。じきにマルツェリーネも歌に加わる。ロッコを除く人々が退出する。ドン・ピツァロが護衛と共に登場し,行進曲が演奏される。ロッコはピツァロにメッセージを渡す。それには、ピツァロが暴君であるという告発の調査のために、大臣が抜き打ちで明日来所すると警告されていた。ピツァロは、監禁されているドン・フロレスタンは死んだと思われているし、大臣が見つけられるはずはない、と叫ぶ。代わりにピツァロがフロレスタンを殺してやると歌う。ピツァロは大臣の到着の時にトランペットを鳴らすように命令する。彼はロッコに金を渡し、フロレスタンを殺すように言うが、ロッコは断る。かわりにピツァロは牢獄の中の古井戸の中に墓穴を掘るように命令する。墓穴ができたらロッコは音を出して知らせ、ピツァロは偶然を装って牢獄に入って自分でフロレスタンを殺す、と。レオノーレはピツァロが筋書きを立てる様子は見ていたが、声は聞こえていなかった。彼女の心は波立つが、夫のことを考えて冷静を取り戻す。ヤキーノはマルツェリーネに結婚を申し込むが、彼女は断る。レオノーレはフロレスタンを見つけたいと思い、哀れな囚人たちが気持ちの良い天気を楽しめるよう、庭を散歩させてはどうか、とロッコに提案する。マルツェリーネも同様に頼み、ロッコも囚人たちを少し自由にするためにピツァロの手を煩わせることに同意する。囚人たちはつかの間の自由を非常に喜び、嬉しそうに歌う。しかし囚われの身であることを思い出して、間もなく静まってしまう。ロッコが再び登場し、ピツァロの了解を取り付けたとレオノーレに語る。ピツァロは結婚を許し、ロッコの牢獄の巡視にレオノーレの同行も許されたと。ロッコが1時間以内に殺さないければならないと言っている囚人の独房に行くために、彼らは準備する。レオノーレは震えているので、ロッコは残るように言ったが、彼女は行くと言い張る。彼らが出かける準備が整った頃、ヤキーノとマルツェリーネが駆け込み、ロッコに急いで来てほしいと言う。ピツァロが、囚人たちの自由を見て怒り狂っていると言う。

彼らが動く前、ピツァロが登場し、説明を求めた。ロッコは、王の命名日を祝っているのだと作り話をして、ピツァロに怒りを収めるように言う。ピツァロは墓穴掘りを急ぐように言い、囚人を再び牢屋に入れるように言う。ロッコ、レオノーレ、ヤキーノ、マルツェリーネは渋々囚人たちを牢屋に戻す。


第2幕

フロレスタンは一人で、牢獄の奥深くの独房にいる。彼ははじめ、神への信頼を歌い、その次にレオノーレが自分を救いにやってくる幻想を見る。

彼は倒れて眠り込んでしまう。ロッコとレオノーレは彼の墓穴を掘りにやってきて、フロレスタンが眠っているのを見つける。掘りながらロッコはレオノーレを急かす。フロレスタンが目覚め、レオノーレは彼に気づく。フロレスタンは、自分がピツァロに囚われていることを思い出し、自分の妻であるレオノーレ・フロレスタンにメッセージを送ってくれと頼むが、ロッコはそれは不可能だと返事する。フロレスタンは一滴でいいから飲み物が欲しいと乞い、ロッコはレオノーレに飲み物をやるように言う。フロレスタンはレオノーレに気づかないが、彼女が天国で報われるだろうと言う。彼女は、彼にパンの皮を与えさせてくれと願い出て、ロッコはそれを許す。フロレスタンはそれを食べる。ロッコは命令に従ってピツァロのために警報を鳴らし、現れたピツァロは準備が整ったか尋ねる。ロッコはそうだと言い、レオノーレに立ち去るように命じる。しかし彼女は代わりに物陰に隠れる。ピツァロはフロレスタンに、彼の殺人を告発したのは自分だと明かす。ピツァロが短剣を振り回すと、レオノーレが物陰から飛び出してピツァロとフロレスタンの間に立ち、フロレスタンを殺すならその前に妻の自分を殺さなくてはならないと言う。ピツァロは二人を一度に殺すチャンスだと喜ぶ。レオノーレがピストルを取り出すまでは。ちょうどその時、大臣の来訪を知らせるトランペットが聞こえる。兵隊を伴ったヤキーノが現れ、大臣が門で待っていると告げる。ロッコは兵隊たちに、ピツァロに供して上に行くように話す。ピツァロが復讐を誓うのに対して、フロレスタンとレオノーレは勝利の歌を歌い、ロッコはこれから何が起こるのだろうと恐れる。フロレスタンとレオノーレは共に愛の歌を歌う。囚人たちと町の人々が、正義の訪れた日時の歌を歌う。大臣ドン・フェルナンドは暴政は終わったと宣言する。ロッコが、フロレスタンとレオノーレとともに登場し、彼らを助けて欲しいとドン・フェルナンドに頼む。ロッコは、レオノーレが自分の夫を助けるために、変装してフェデリオとして働いてきたことを説明する。マルツェリーネはショックを受ける。ロッコはピツァロの殺人計画を話し、ピツァロは牢獄へ入れられる。レオノーレの手によってフロレスタンが鎖から解き放され、群衆はレオノーレの夫に対する忠節を讃えて歌う。

プログラムとキャスト

指揮者 チョン・ミョンフン
監督 ジョーン・レイチ


フロレスタン ヴィンセント・ウルフスタイナー
ドン・ピサロ:サミュエル・ユン
レオノア マイダ・フンデリング
ロコ フランツ・ヨーゼフ・セリグ
マルゼリン エヴァ・リーバウ
ジャキーノ レオナルド・コルテラッツィ

フェニーチェ劇場

 

フェニーチェ劇場(Teatro La Fenice)は、イタリア・ヴェネツィアにある歌劇場である。日本語でもしばしばラ・フェニーチェ(-座、あるいは-劇場)と表記される。開場は1792年5月16日。

イタリア語でfeniceは不死鳥を意味し(英語のphoenixに相当)、その名は1773年に火災で焼失したヴェネツィアの他の歌劇場の後継を自負して名付けられた。その後この劇場自体、1836年と1996年の2度にわたって火災により全焼したが、その都度再建がなされ、「不死鳥」の名にふさわしい歴史を誇る。

 

ヴェネツィアとオペラの関係は古い。1630年、モンテヴェルディの『略奪されたプロセルピーナ』Proserpina Rapitaがヴェネツィア総督モチェニーゴ・ダンドロの邸宅で行われた、とあるのがヴェネツィアの記録上最古のオペラ演奏である(同邸宅はその大部分が現存、ホテル・ダニエリとして利用されている)。17世紀には少なくとも16の歌劇場が競合するなど隆盛を極めていた。

 

サン・モイゼ劇場は1640年に開場、1818年まではオペラの定期公演が行われ、ヴィヴァルディやパイジエロなど18世紀のオペラ作曲家の新作が多くここで初演された。後にはオペラ・ブッファに特化した運営となった。ロッシーニのオペラ『婚約手形』La Cambiale di Matrimonio(1810年)や『ブルスキーノ氏』Il Signor Bruschino, ossia Il Figlio per azzardo(1813年)なども、当劇場の委嘱になる作品である。

サン・サルヴァトーレ劇場(後年1875年にゴルドーニ劇場と改称され現存)は1661年開場、ゴルドーニの戯曲の多くが演じられたことで有名だが、ここもまた18世紀から19世紀前半には有力なオペラ劇場であった。ジュディッタ・パスタがベッリーニ作曲『ノルマ』を演じた記録が残り、またヴェネツィアの劇場中最も早くガス灯による照明が行われた(1826年)。

 

サン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場はマルコ・ポーロの邸宅があったとされる一角に1687年に開場、フェニーチェ劇場の創建以前はヴェネツィアで最重要の歌劇場と考えられていた。この劇場はグリマーニ家という富豪の運営になる劇場のうちの一つであり、少なくともここヴェネツィアにあっては、入場料さえ払えば、身分に関係なく誰でもオペラを鑑賞できる最初の劇場となった。ヘンデル作曲『アグリッピナ』(1709年)は当劇場で初演された。1836年に当時の高名なソプラノ歌手、マリブランが28歳の若さで急逝したとき、前年に当劇場でベッリーニ作曲『夢遊病の女』La Sonnambulaを歌い大成功を収めたことを追憶するためマリブラン劇場と改称された。20世紀に入ってからは映画館に改装されたが、その後もしばしば小規模オペラの公演に利用され、また、後述の1997年からのフェニーチェ劇場焼失再建期間中は仮劇場の一つとして活用された。

 

グリマーニ家の歌劇場のうち、その内装の優美さによって18世紀後半にもっとも隆盛を誇ったのが1755年に創建のサン・ベネデット劇場だった。この劇場は席数1500の大規模なものであったが、1773年の火災で焼失する。劇場再建にあたって土地の所有者ヴェニエル家と劇場の運営者側との間に法的係争が発生、ヴェニエル家に有利の裁定が下った。その結果劇場運営者側は同地を去り、そこから徒歩10分足らずの近接地カンポ・サン・ファンティンに新劇場を建設することとなった。新劇場は火災(とそれに続く裁判)の困難に打ち克つという意味を込めて不死鳥=フェニーチェ劇場の名が付けられた(下記に詳述)。

 

なお、サン・ベネデット劇場は結局1787年にヴェニエル家によって単独再建がなされた(この際ヴェニエル劇場と改称された)。フェニーチェ劇場開場後の1813年に至っても有名なロッシーニ作曲『アルジェのイタリア女』Italiana in Algeriの初演がこのサン・ベネデット劇場で行われていることからみて、少なくとも一定期間はフェニーチェ劇場に伍する歌劇場としての地位を得ていたとみられる。なお、同劇場は1868年にロッシーニ劇場と再改称され、1925年からは映画館として使用されている。

 

輸送

 

水上バス
2行目:トロンケットから
リアルト橋、サンマルコとリドの方へ

ローマ広場やサンタ·ルチア駅から:ライン1またはライン2
リアルト橋、サンマルコとリドの方へ

停止します。リアルト橋、聖天使、聖サミュエルやサン·マルコ(ヴァッラレッソ)、ライン1を取る。
またはリアルト橋やサン·マルコ(ヴァッラレッソ)、ライン2を取る


マルコ·ポーロ空港からアリラグーナ公共交通サービス - リアルト橋やサン·マルコ(ヴァッラレッソ)にブルーラインにオレンジ色の線を取る

 

入り口

フェニーチェ劇場は、2つの入口があります。
- ステージドアは劇場スタッフと出演者のためであり、ドアマンによって有人されます。
- メインの入り口


エレベーター

ボックス、ギャラリーや家族の輪は、エレベーターを経由して到達することができます。

アクセス

劇場は特別なニーズのアクセシビリティに関してすべての法的規制に準拠しています。

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