ヴィヴァルディ・バロック・アンサンブル

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PreviousMAY 2026

音楽家アントニオ・ヴィヴァルディの推薦によりジョルジョ・マッサーリが設計し、音楽演奏の音響効果を高めた格調高いサンタ・マリア・デッラ・ピエタ教会で開催されます。


I Virtuosi Italianiの才能ある音楽家たちは、ヴィヴァルディの『四季』をはじめ、他の現代作曲家の作品を演奏します。


教会の素晴らしい音響と貴重なフレスコ画は、ヴェネチアの夜をユニークで忘れがたいものにしてくれることでしょう。

プログラムとキャスト

アントニオ・ヴィヴァルディ
「ル クワトロ スタジョーニ」
ヴァイオリン、弦楽、チェンバロのための協奏曲

『ラ・プリマヴェーラ』Op. 8 No.1
ヴァイオリン:エルネスト・カンパニャーロ

アレグロ「春が来た」

ラルゴ – 「葉と植物のざわめき – 眠っているヤギ飼い」

アレグロ – 「田園の踊り」

『エステート』Op. 8 No.2

アレグロ・ノン・モルト – 「暑さの中での衰弱」:アレグロ

アダージョ – 「疲れた手足に休息をもたらす」

プレスト – 「激しい夏の嵐」

「オートゥンノ」Op. 8 No. 3
ヴァイオリン: ルカ・ランツァート

アレグロ – 「農民の踊りと歌」

アダージョ・モルト – 「酔いどれの眠り」

アレグロ – 「狩り」

「冬」作品番号 8 8 No. 4

アレグロ ノン モルト – 「凍てつく雪の中で凍りつき、震えながら」

ラルゴ – 「火のそばで静かな日々を過ごす…」

アレグロ – 「氷の上を歩く」

アントニオ ヴィヴァルディ
チェロ、弦楽器、チェンバロのための協奏曲 RV 419
チェロ: ダヴィデ アマディオ

アレグロ

アンダンテ

アレグロ

ヨハン セバスティアン バッハ
ヴァイオリン、弦楽器、チェンバロのための協奏曲 BWV 1042
ヴァイオリン: マッテオ アンデルリーニ

アレグロ

アダージョ

アレグロ アッサイ

 

プログラムとキャストは変更になる場合があります

フォトギャラリー

サンタ・マリア教会 デラ・ピエタ

サンタ・マリア教会デラ・ピエタは北イタリア、ヴェネチアの教会。1346年に孤児や棄て児を養育するために設立された慈善機関であった。赤ちゃんは後代に回転式の赤ちゃんポストによって預けられた。預ける親の多くはいずれは引き取りに来ることを前提としていて(ほとんど実現しなかったが)、形見の品を赤ちゃんに添えた。女子は結婚しない限り、生涯をここで過ごした。男子も受け入れて船大工や石工などの職業訓練を行なったが、介護が必要などのよほどの事情がない限り16歳になるとここを去った。一方、女子は音楽的才能を発芽させれば、8歳から10歳にかけて集中的に訓練を始め、慈善院付属音楽院の「合奏・合唱の娘たち」の一員に育て上げられた。

共和国の法的保護の下にあったピエタ慈善院は、貴族や裕福な市民からの寄付と遺贈、音楽の才能のない「手工芸の娘たち」の収入だけでは十分まかなえず、付属音楽院のコンサートによる収入がピエタの運営を大きく支えた。特にヴィヴァルディが「協奏曲長」に就任してからは、その指導の下に合奏・合唱団の技量が飛躍的に伸び、多くの女性ヴィルトゥオーソや名歌手を輩出した。中でも、名ヴァイオリニストとしてヨーロッパ各地から聴衆を呼んだアンナ・マリーアとキアーラ(キアレッタとも)が有名であるが、いずれもヴィヴァルディの愛弟子であった。こうした名声に惹かれて貴族たちもここに娘を送って音楽教育を受けさせた。

アントニオ・ヴィヴァルディは1703年から1740年までに断続的にヴァイオリン教師、作曲家を務めた。ヴィヴァルディの器楽曲の多くがここの女性たちのために作曲された。ともすれば、「娘たち」という名前から、少女だけからなる女性オーケストラや合唱団が想像されるが、構成メンバーの実際の平均年齢は40歳に近かった。演奏や歌唱は音楽院内のホールまたは教会で行なわれた。教会の聖歌隊席は祭壇の反対側に一箇所、側壁に向かい合うように二箇所あったが、下の観客から「娘たち」の姿かたちがはっきり見えないように、美しい飾りをちりばめた鉄製の格子に囲まれていた。ジャン=ジャック・ルソーも聴衆としてこれを記録している。

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