jp
jp v
Phone
Cart0 チケット
合計: 0
Account
Calendar
Search
Menu
X

《アドリアーナ・ルクヴルール》

Venueフェニーチェ劇場
Calendar金 22 10月 2027 - 土 30 10月 2027
あらすじ / 詳細

アドリアーナ・ルクヴルール

 

作曲:フランチェスコ・チレア

台本:アルトゥーロ・コラウッティ

 

あらすじ

 

時と場所: 1730年3月、パリ

 

第1幕

公演直前の舞台袖。今晩の演目はコルネイユの「バジャゼ(Bajazet)」。一座の2大女優アドリアーナとデュクロが競演するとあって期待と興奮が高まっている。舞台監督のミショネは俳優たちに衣装や小道具のあれこれの事を言い付けられ、一座のパトロン、ブイヨン公爵の相手もしなければならず大忙しである。アドリアーナも登場。彼女は楽屋の喧騒をよそに台詞の練習に余念がない。その演技の素晴らしさに思わず一同が賞賛の声を挙げると、アドリアーナは謙遜して「自分は芸術の神に仕える醜い僕(しもべ)です」と言う。

芝居が始まり、楽屋には出番を待つアドリアーナとミショネだけが残される。かねてからアドリアーナに想いを寄せるミショネは「伯父が死んで遺産が入った。意中の女性に求婚しようと思うんだが」と、おずおず不器用に自分の想いを伝えようとするが、恋人のマウリツィオが楽屋を訪ねてくるのを浮き浮きと待っているアドリアーナはそれがミショネのプロポーズであることにすら気が付かない。

マウリツィオが登場。ミショネはこの颯爽とした若い士官と老いた自分では勝負にならないと潔く諦め、席を外す。2人きりになり、マウリツィオ(サクソニア公に仕える旗手であると身分を偽っている)は情熱的にアドリアーナを賞賛、今晩の舞台終了後に共に一夜を過ごそうと約束する。アドリアーナは彼にスミレの小さなブーケを渡す。出番が近づいたので、マウリツィオは客席に、彼女は舞台裏へと去る。

ミショネが戻ってくる。アドリアーナの当夜一番の見せ場であるモノローグが始まる。幕の隙間から覗くミショネは、アドリアーナの演技に感動し賞賛し、客席に見える凛々しい士官への複雑な気持を吐露する。

ブイヨン公は愛人デュクロが誰かに手紙を書いていると聞いて嫉妬、その手紙を入手する。それはマウリツィオ宛で、「今晩11時、セーヌ川の邸宅で」とあった。その邸宅自体、公爵がデュクロに与えたものだった。公爵は手紙の封を戻し、マウリツィオのもとに届けさせ、その上で2人の密会を邪魔してやろうと、同時刻にその邸宅でパーティーを開くことを計画する。

デュクロの手紙を受け取ったマウリツィオが楽屋に戻ってくる。彼はフランス王室との秘密交渉のため、王室と繋がりのあるブイヨン公妃にかねてより面会を求めていた。デュクロは公妃との仲介役の労をとっており、手紙は「今晩11時マウリツィオが公妃に面会できる」という意味だった。マウリツィオはアドリアーナに今晩は会えなくなった旨伝言を託して去る。

舞台が終り、伝言を受けとったアドリアーナはがっかりしている。ブイヨン公爵は「一座の全員でデュクロを驚かせ、お灸を据えてやろう」と考え、アドリアーナまでをもパーティーに招待する。

 

第2幕

マウリツィオは政治問題の下交渉のために公妃に面会したいだけだが、公妃の方はこの機会に若い彼を恋人としたいと考え、デュクロ邸で待っている。マウリツィオ登場。嫉妬深い公妃は早速彼の胸ポケットに挿したブーケを見つけ、仕方なく彼は「これは貴女への贈り物」と差し出す。公妃はマウリツィオが自分と関係を持てば政治交渉が進む旨を暗示するが、彼はその誘いには乗らない。

そこへ、密会しているのはデュクロとマウリツィオだと信じて疑わない公爵一行が登場。公妃は危うく小部屋に隠れ、マウリツィオだけが仕方なく人々に調子を合わせる。公爵との会話を聞いたアドリアーナはマウリツィオが単なる士官ではなく、伯爵その人であることを悟り驚くが、彼女も彼とデュクロとの関係を疑う。マウリツィオはそれを否定するが、アドリアーナに「小部屋に隠れている貴婦人は私の公務にとって大事な人。どうか隙を見て彼女を逃がしてほしい。ただし君も彼女の顔を見てはいけない」と依頼する。

アドリアーナは彼の言葉を信じ、人々が食堂に向かった隙に部屋の灯りを消して小部屋の女性を連れ出す。暗闇の中で二人の会話がなされ、お互いに素性を知らぬまま恋敵同士であることを直感する。怒ったアドリアーナは公妃の正体を暴こうとするが、公妃は邸外に逃走する。その際落とした公妃の腕輪はミショネが拾い上げ、アドリアーナに手渡す。

 

第3幕

数日後、ブイヨン公爵邸では夜会が開かれようとしている。アドリアーナも招かれている。彼女の声を聞いて恋敵はアドリアーナではなかったかと疑いをもった公妃は「マウリツィオは決闘で重傷を負った」と嘘をいい、アドリアーナが気絶しそうになるのでその確信はいよいよ強まる。そこへマウリツィオが現れアドリアーナは一安心する。恋敵2人の鞘当ては続く。公妃はスミレのブーケのことを話題に出し、アドリアーナは拾った腕輪を見せびらかす。

宴席の余興としてアドリアーナが芝居の名台詞を朗詠することになる。公妃は『アリアドネ』(これは男に捨てられた女性である)の台詞を所望するが、アドリアーナはラシーヌ『フェードル』(これは夫を裏切った淫乱な女性)の一節を見事に演じる。一同は喝采するが、それを自らに対する侮辱と知った公妃は独り復讐を誓う。

 

第4幕

公爵邸の一件以来アドリアーナは自宅で静養していた。今日は彼女の誕生日。一座の仲間の俳優たちが祝いにやってきて、贈り物や楽屋のゴシップで彼女の心を和ませる。彼女はこれらの暖かい思いやりに感激して、舞台復帰を約束する。

そこへ「マウリツィオより」と書いた小箱が届けられる。アドリアーナが箱を開けると、かつて彼に渡したあのスミレのブーケ。すっかり萎れたその花を見て、彼女は彼を失ったと絶望、「哀しい花よ」と歌いかけ、スミレに接吻した後暖炉にくべる。

しかしそこへ、マウリツィオがミショネの求めに応じて訪問してくる。彼はこれまでの不義理を詫び、心はいつまでもアドリアーナにあることを誓い求婚する。当初訝しげに応対していたアドリアーナも彼の真心に打たれ、結婚を承諾する。

ところが彼女は顔面蒼白である。マウリツィオとミショネは、スミレのブーケはブイヨン公妃が贈ったもので、そこには毒が仕込まれていたことを悟る。アドリアーナの意識は混濁し始め、かつての栄光の舞台の台詞を語気鋭く叫んだかと思うと、次の瞬間には清らかな旋律に情感を込めて愛を歌う。マウリツィオの腕の中で苦しみつつアドリアーナは息を引き取り、一同が呆然とする中で、静かに幕となる。

キャスト

フランチェスコ・チレア作曲《アドリアーナ・ルクヴルール》

 

フェニーチェ劇場管弦楽団・合唱団
指揮:リッカルド・フリッツァ
演出:マリオ・ポンティッジャ

カリアリ劇場およびABAOビルバオ・オペラによる上演

会場
フェニーチェ劇場

 

フェニーチェ劇場(Teatro La Fenice)は、イタリア・ヴェネツィアにある歌劇場である。日本語でもしばしばラ・フェニーチェ(-座、あるいは-劇場)と表記される。開場は1792年5月16日。

イタリア語でfeniceは不死鳥を意味し(英語のphoenixに相当)、その名は1773年に火災で焼失したヴェネツィアの他の歌劇場の後継を自負して名付けられた。その後この劇場自体、1836年と1996年の2度にわたって火災により全焼したが、その都度再建がなされ、「不死鳥」の名にふさわしい歴史を誇る。

 

ヴェネツィアとオペラの関係は古い。1630年、モンテヴェルディの『略奪されたプロセルピーナ』Proserpina Rapitaがヴェネツィア総督モチェニーゴ・ダンドロの邸宅で行われた、とあるのがヴェネツィアの記録上最古のオペラ演奏である(同邸宅はその大部分が現存、ホテル・ダニエリとして利用されている)。17世紀には少なくとも16の歌劇場が競合するなど隆盛を極めていた。

 

サン・モイゼ劇場は1640年に開場、1818年まではオペラの定期公演が行われ、ヴィヴァルディやパイジエロなど18世紀のオペラ作曲家の新作が多くここで初演された。後にはオペラ・ブッファに特化した運営となった。ロッシーニのオペラ『婚約手形』La Cambiale di Matrimonio(1810年)や『ブルスキーノ氏』Il Signor Bruschino, ossia Il Figlio per azzardo(1813年)なども、当劇場の委嘱になる作品である。

サン・サルヴァトーレ劇場(後年1875年にゴルドーニ劇場と改称され現存)は1661年開場、ゴルドーニの戯曲の多くが演じられたことで有名だが、ここもまた18世紀から19世紀前半には有力なオペラ劇場であった。ジュディッタ・パスタがベッリーニ作曲『ノルマ』を演じた記録が残り、またヴェネツィアの劇場中最も早くガス灯による照明が行われた(1826年)。

 

サン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場はマルコ・ポーロの邸宅があったとされる一角に1687年に開場、フェニーチェ劇場の創建以前はヴェネツィアで最重要の歌劇場と考えられていた。この劇場はグリマーニ家という富豪の運営になる劇場のうちの一つであり、少なくともここヴェネツィアにあっては、入場料さえ払えば、身分に関係なく誰でもオペラを鑑賞できる最初の劇場となった。ヘンデル作曲『アグリッピナ』(1709年)は当劇場で初演された。1836年に当時の高名なソプラノ歌手、マリブランが28歳の若さで急逝したとき、前年に当劇場でベッリーニ作曲『夢遊病の女』La Sonnambulaを歌い大成功を収めたことを追憶するためマリブラン劇場と改称された。20世紀に入ってからは映画館に改装されたが、その後もしばしば小規模オペラの公演に利用され、また、後述の1997年からのフェニーチェ劇場焼失再建期間中は仮劇場の一つとして活用された。

 

グリマーニ家の歌劇場のうち、その内装の優美さによって18世紀後半にもっとも隆盛を誇ったのが1755年に創建のサン・ベネデット劇場だった。この劇場は席数1500の大規模なものであったが、1773年の火災で焼失する。劇場再建にあたって土地の所有者ヴェニエル家と劇場の運営者側との間に法的係争が発生、ヴェニエル家に有利の裁定が下った。その結果劇場運営者側は同地を去り、そこから徒歩10分足らずの近接地カンポ・サン・ファンティンに新劇場を建設することとなった。新劇場は火災(とそれに続く裁判)の困難に打ち克つという意味を込めて不死鳥=フェニーチェ劇場の名が付けられた(下記に詳述)。

 

なお、サン・ベネデット劇場は結局1787年にヴェニエル家によって単独再建がなされた(この際ヴェニエル劇場と改称された)。フェニーチェ劇場開場後の1813年に至っても有名なロッシーニ作曲『アルジェのイタリア女』Italiana in Algeriの初演がこのサン・ベネデット劇場で行われていることからみて、少なくとも一定期間はフェニーチェ劇場に伍する歌劇場としての地位を得ていたとみられる。なお、同劇場は1868年にロッシーニ劇場と再改称され、1925年からは映画館として使用されている。

 

輸送

 

水上バス
2行目:トロンケットから
リアルト橋、サンマルコとリドの方へ

ローマ広場やサンタ·ルチア駅から:ライン1またはライン2
リアルト橋、サンマルコとリドの方へ

停止します。リアルト橋、聖天使、聖サミュエルやサン·マルコ(ヴァッラレッソ)、ライン1を取る。
またはリアルト橋やサン·マルコ(ヴァッラレッソ)、ライン2を取る


マルコ·ポーロ空港からアリラグーナ公共交通サービス - リアルト橋やサン·マルコ(ヴァッラレッソ)にブルーラインにオレンジ色の線を取る

 

入り口

フェニーチェ劇場は、2つの入口があります。
- ステージドアは劇場スタッフと出演者のためであり、ドアマンによって有人されます。
- メインの入り口


エレベーター

ボックス、ギャラリーや家族の輪は、エレベーターを経由して到達することができます。

アクセス

劇場は特別なニーズのアクセシビリティに関してすべての法的規制に準拠しています。

宿泊

今すぐ購入

ギフトバウチャー

忘れられないオペラの夜を誰かに贈りましょう。
ギフトクーポンを選び、その人が愛する公演を選べるようにしましょう—音楽、ドラマ、そして世界クラスの芸術が、ひとつのエレガントな体験に。
バルセロナ・オペラ・チケット
Facebook Instagram
Payment
© 2026 RM Europa Ticket GmbH
Whatsapp